Uberはライドシェアではなく、出来損ないのタクシー会社と化している。それでもUberを推し進めるのは、働く人への責任を果たさなくて良い仕組みだから…
諸外国でのUber関連の記事を読むと、各地で訴訟を抱えていたり、認可が取り消されたりしている記事が数多く見受けられます。
それらの多くは、Uberで働く人の保護(業務請負か、従業員か)によるトラブルで、もともと「請負」と発想されていたUberのビジネスモデルが、行き詰っているようにも見えます。
つまり…
あいた時間に自分の車をシェアする、仕組みを作った。そこまでは、タクシーなどの交通機関の少ない地域では良かったのかもしれませんが、専業ドライバーが増えてくると、彼らへの企業としての保障が無い実体が、まるで「偽装請負」のようになっている実態が明らかになってきたのです。
さらに、Uberが車の貸し出しを行うに至っては、従業員への何の保障も無い「タクシー会社」と化していて、もともとのシェアリングエコノミーですら無くなってきています。
このブログやTwitterでも何度も書いていますが、日本にライドシェアが合わないのは、タクシーの供給が過剰な地域が多いからに他なりません。
それ故に、タクシー会社の抵抗などと言われていますが、供給過多のものをあえて取り入れる必要が無いのが、日本でライドシェアが進まない理由の最大のものでしょう。
供給過多なのに、さらに供給を増やせば、粗悪品が乱造されるのは歴史が証明しています。
その歴史を無視してまで、ライドシェアを推し進めようとする勢力は、この仕組みに別の魅力を感じているからに他なりません。
そうです。
先ほども書いたように、Uberのドライバーは請負なので、彼らへの企業としての保障は何も必要ないのです。
事故を起こしても、それを保障するのは自分でかけた保険。
何かトラブルがあっても、それは働く側で解決しなければならず、Uber側は何の責任を負うことはありません。
最低賃金も社会保険も、企業として、働く人に負わなければならない社会的な責務を全て放棄した仕組みがそこにあるわけですから、経営者からすれば魅力的なシステムに映るのでしょう。
でも、これらの仕組みは、社会的な疲弊を生むのは明らかで、その疲弊にすら責任を感じていない人たちがライドシェアを推し進めているとみると、様々な疑問点が氷解するように思います。
さて、ではUberの仕組みそのものが魅力的なのでしょうか?
Uberでは、配車された際に20%から25%を徴収する仕組みになっています。
タクシー会社の経営者から見れば、この手数料は高すぎる!と思われているようです。
因みに、日本交通系列の配車アプリ「全国タクシー」は、一配車につき100円の手数料を聴取していると聞きます。
つまり、Uberの手数利用は、業界基準から見ても法外なのです。
タクシー会社と提携して国内進出を図る目論見が上手くいかないのはこの為で、相手が「個人の請負」であるから成り立つ仕組みでもあるのです。
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で、堀江さんがUberの便利さをしきりに強調していますが、描かれているイラスト(路上で手を挙げタクシーが乗車拒否している構図で「Uberなら拒否されないのに」という吹き出しが付いているもの)すら実態を反映していなく(タクシーだってアプリで呼べば、乗車拒否はしませんよ)、悪意に満ちたものでしかなく、ライドシェアに投資する自己の利益追求のためだけの記事を垂れ流しているさまは、諸外国の実情を鑑みると滑稽でしかありません。
しかし一方で、諸外国の事情を知りながら、それを知らない読者に誇張された情報を垂れ流すのは、悪意しかないのでしょう。
ライドシェアを推し進める人たちは、社会に対して責任を果たしたくない人たち…
私は、その様に捕らえていますが、世の中全般が違う捉え方をしているのは残念でなりません。
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