1BOXタクシーの乗務日誌のようなもの

都内を走る1Boxタクシーの乗務日誌、タクシーブログのようなものです

2002年のタクシー規制緩和の功罪

「改正『タクシー特措法』と『白タク解禁』の整合性」のエントリーでも触れましたが、2002年のタクシー規制緩和の実像を語ることは、現在の「白タク解禁」論議を考える上でとても示唆に富んでいます。

そこにあるのは、規制改革の美名に覆い隠された、自社の商機拡大であって、利用者の利便性の向上でもなければ、ましてやタクシー業界の発展でもありません。

 

具体的に考察してみましょう。

2002年の規制緩和の具体的な内容は、先日も紹介した「東京のタクシー タクシー最前線からの報告」(pdfファイル)の5ページ・6ページに紹介されています。

大きな項目としては、

「増車/ 認可制」から ▶「 事前届出制」に

「最低保持台数の緩和/60台」から ▶「 10台」に

「営業所および車庫/所有」から ▶「 リース」に

「 導入車両/新車」から ▶「 中古車で可」に

以上の4点となっています。

 

他にも、二種免許の取得条件が緩和され、自動車教習所で実技試験の受験が可能となったり、任意保険の加入が強制となり、事故発生時の対応が強化されたりしました。

話は逸れますが、私がタクシーを始めたころが、教習所で免許取得が可能となった時期とダブります。

私は教習所で実技試験が受験できるところを条件にタクシー会社を探したものでした…

 

2002年の規制緩和は、タクシーの台数を増やすのが簡単になり、新規参入の障壁もとても低くなった改革という側面が強い改革でした。

そして、この改革の旗振り役だったのが、オリックス宮内義彦元会長でした。

 

現役のドライバーの方は是非、営業車の車検証を見て欲しいのですが、所有者がリース会社になっている場合が多いように感じます。

因みに、私が以前勤めていた会社では、オリックス系のカーリース会社の名称がそこに記されていた記憶があります。

 

2002年の規制改革は、増車が簡単になり、新規参入も簡単になり、リースや中古車でも車両を持てる様になった改革だったという側面があります。

そして、その改革で一番得をしたのは、リース会社のオーナーだった旗振り役の宮内元会長…

そう、こんな露骨な我田引水が、規制改革として語られているのです。

そして、記憶違いでなければ、オリックス系のカーリース会社がタクシーのカーリースにおけるシェアのトップです。

 

世界的に例の無い供給規制の実質的な撤廃という「改革」が失敗に終わるのは、自明のことだったのですが、カーリースのシェアを伸ばした宮内元会長にすれば、改革の行く末なんてどうでも良かったのかもしれません。

 

ところで、拙ブログでも時々登場する高橋洋一教授は、運賃に関する規制が緩和されていないから、規制緩和が中途半端なものとなってしまったと発言しているようですが、残念ながらそれは正確ではありません。

確かに、運賃に関しては「許可制」のままでしたが、ワンコインタクシーや様々な料金体系のタクシーが登場したのもこの改革がきっかけでした。

そして、これら様々なタクシーの登場がありながらも、タクシー利用の総需要は増加しませんでした。

もし、中途半端という言葉が正しければ、その兆しのようなものがデータ上から見て取れる必要があります。

しかしその様な兆しもありませんでした。

 

さて、2002年の規制改革が我田引水の側面が強い「改革」モドキでしかない側面を見てきましたが、現在語られている「白タク解禁」もその同一線上にあると考えた方が良さそうです。

 

都内のタクシー需要は、約3,600億円。

ライドシェアが解禁されても、それが伸びることは無いでしょう。

総需要が伸びないのに、導入を急ぐ背景は、それを導入すると儲かる人がいるから(笑)

 

自社が儲かれば、他を犠牲にしても構わないという論理の上に、この議論は展開していると読み取るべきです。

そして、残念ながら利用者の利便性の向上も考えられていないのは、ライドシェア解禁先進国の様々な事例が教えてくれています。

そして、それらの国よりも既にこの国のタクシー事情は飽和状態です。

その中にこれらライドシェアを導入すれば、混乱しか残りません…

 

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