「シェアリングエコノミー」というウソ。素人のセミプロを大量発生させる仕組みが本当に必要なのですか?
酷い記事を読みましたので、ちゃんと反論してみたいと思います。
その記事は、ダイヤモンドオンラインに掲載された下記のもので、シェアリングエコノミーの名のもと、十派一からげに、そのビジネスモデルを褒め称え、それに反するものを「抵抗勢力」のように扱う、いつものパターンで展開されているのですが、あまりにも酷すぎます(笑)
Uberはタクシーが不足している地域で成立するビジネスモデルだと幾度も繰り返してきました。
そして、「足りないから、他の仕組みで補う」、いわゆるシェアリングエコノミーの原点はここにあるはずです。
つまり、充足している地域では、あえてシェアして補わなければならないものは無いのです。
反論は以上で終了なのですが、もう少し記します。
しかし、日本の大多数の地域では、タクシーをはじめとする公共交通機関は充足されいます。そして、充足されていない地域で、それを補う仕組みとして「ライドシェアリング」を導入するのは、理にかなっていますが、充足されている地域でライドシェアを導入すれば、混乱に拍車がかかるのは火を見るよりも明らかです。
そして、Uber等のビジネスモデルは、結果的に素人のセミプロドライバーを大量発生させ、現状で会社に対する処分があるから守られている交通法規への遵法意識も、破壊してしまうでしょう。
さて、シェアリングエコノミーとは、足りないものを他にあまっているもので補う仕組みであるはずです。
しかし、結果として、他に余っているもので補うのではなく、素人のセミプロを跋扈させる仕組みを作ることが、理にかなっているとはとても思えません。
繁華街での二重駐車やそれに伴う交通渋滞。
お客の取り合いの果ての強引な運転、こんな時代に逆戻りさせたいのでしょうか?
そして、仕組みを提供するだけのUberはそこに何の責任も持ちません。
それが、シェアリングエコノミーという美名で語られているものの数年後の姿です。
現在、供給過多状態にあるタクシー側に改善しなければならない点が無いとは思いませんし、改善点は多々あると思っています。
でも、それを解決する方策は、素人・セミプロではありません。
やっぱり、人を車で送るというビジネスは、誰にでも出来るから、参入障壁を低くし、そのパイを奪おうとする発想が全てなのでしょう。
しかし、そこには送るドライバーへ視点も送られるお客さんへの視点も感じられません。
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